シルクハットもステッキも置いてきたのに今更、

 もう今更語るべきことなんて残っていない、そのほとんどが跡形もなく風化してしまっていてなおも手に残るわずかをかき集めて残り火を散らそうというのが主旨である。ああ、言い切ってしまった……言い切ると言葉の流れが止まってしまうのだ、だから句点ではなく読点を手がかりにだらだらと話を続けるのだが、その老いぼれた延命措置はただ虚しいだけ、哀れなピエロ状態ではあるのだが、考えてみれば今のこの有り様、手品の道具をすべて実家に忘れてきた手品師が舞台を呆然と立ち尽くすようなものであり、ならば過失はこの身を持って贖うほかになく、つまり道化となって嘲笑を浴びるのが関の山といったところだ。
 だから笑えよ、この有り様を。
 なんてね。
 でも実際問題「書くことがない」なんてのは古今東西書き手にとっての最終手段というか緊急措置なわけで、それを(おそらく)第一回から使ってしまえば次回作は無期限延期、ありがとうございましたってなことになっちまうわけで、でもまあそうなったらなったで仕方ないというか、一度引き出しをこじ開けて逆さにしてチリの一つまで掻き出して在庫一掃セールをやっておかないと「新装開店」とはいかないわけだ。
 生まれ変わりたいんだよ、まだ。
 そういうわけで「手持ちの材料と道具の点検」(入澤康夫『詩の構造についての覚書』)と洒落込んでいるのがこの語りです。頭を使わず手に書かせるとこんな文章になる。道具の点検なら少しは“道具”を使ってみせろや、って感じだけど、この手そのものと一体化するほど手に馴染んだ「文体」というのがもし生じているなら、それは体臭と同じでごく親密な誰か以外にはただの悪癖でしかないとしたって、手持ちの道具をふるっていることには変わらないのだから、ひとまずはこの虚飾を味わっていてほしい。贖罪なら来週ビッグエー行った時に買ってくるからさ。

 そういえば。
 書き出しの「今更」で思い出したけど、赤い公園というバンドがわりとずっと好きで、やむを得ない事情で解散してしまったのだけれど、そのバンドがメンバーの体調不良で一度メジャーデビューし損なって、そっから別のレーベルで再度メジャーデビューに挑むときの最初のシングル曲名が「今更」だったんだよね。
 最初聞いた時わらっちゃった。なんか3曲分くらいのアイデアを無理やり1曲に詰め込んだ、People In The Box東京事変の曲を演じたようなめちゃくちゃなバンドだったの。それでいてポップでたのしいのがすごくよくって。MVでもいきなり演奏ほっぽり出して謎のダンスしだすし。
 かっこよかった。
 まあ、そういうわけで、今更だけどここから始めてみます、という近況報告なのです。フリが長えよ。